言葉

日常のひと休みに

情報社会

情報社会

なぜ、心の情報は必要としないのか。

 

当たり前のように、

自分の持っている情報をもとに話を進める人はたくさんいる。

例えば、

どこかの店員さん、

その商品やサービスを知っていることを前提として話を進めてくる人を多く見かける。

相手に合わせて話を進めるわけではない。

マニュアルなのかもしれない。

でも、そのマニュアルの情報はお客さんにはない。

相手がどんなことを知りたいのか、

そんなことは関係ない。

ただ、自分達にある情報を相手に押しつける。

そうでなければ、

そんなことも知らないのか、とバカにしてくる。

では、逆に聞いてみたい。

誰かがその人生において、知り得た情報や経験をあなたは知っているのか、と。

 

情報が足りないのだ。

心の情報。

相手の立場を想像する。

自分が相手の立場だったら、それは今の自分ではない、相手と同じ知識でそこにいたならということだ。

もちろん、そんなことわかるはずない。

だから、知識と経験で想像するのだ。

もちろん、心の情報と心の経験によってだ。

 

どうして他の情報と同じように、

心の情報は詰め込まないのだろうか。

他の情報を詰め込んで、

自分は多くの情報を持っていると思っているなら、それは自分のシッポを追い回していることと同じことのような気がしてならない。