想像力
世界をひろげたいなら
世界を旅するのではなく、
世界の人を旅するのだ。
隣りにいる人が自分と同じ景色を見ている、同じ景色が見えているとはかぎらない。
同じものにひっかかり、同じ感情を持つとはかぎらない。
人を受け入れないかぎり、自分の見ているものは変わらない。
自分の世界だけにいると、
常に自分が正しいと思い、相手をせめる。
だから、
常に自分が相手より上だと錯覚してしまう。
見ているものが変わらないということは、狭い場所にいて、王様だと錯覚してしまう。違う世界の方が魅力的かもしれないのに。
優劣をつけるのも自分の視点によるものが多い。
それが悪いということではない。
それが絶対ではないということだけだ。
何かを決断するには、自分の視点は必要なことだ。
そうでなければ、常に迷いが生じてしまう。
しかし、それは自分の視点であって、他者の視点ではないということだ。
他者の視点なんてわからない。
その通りだと思う。
それなら、どうしょうもないじゃないか。
ということになってしまう。
しかし、
人には想像力というものがある。
想像するのだ。
もちろん、それでも自分の視点から逃れることはできないだろう。
しかし、
想像することによって、少なくともこれまでの視点とは違った視点になっているはずだ。
否定するのではない。
想像するのだ。
想像するためには
他者を受け入れなければならない。
そうすれば、
他者を肯定できなくとも
自分だけの世界が常に正しいと思わないのではないだろうか。
勝手に、相手が自分を否定していると決めつけなくてすむのではないだろうか。
100%はないかもしれないが、
少なくともそこに交渉などの様々な余地が生まれるのではないだろうか。
変化することは難しいかもしれない。
それは、変わることが悪いことマイナスなことと捉えてしまうからだ、自分の視点の中で。
しかし、少なくとも人は変化し続けている。なぜなら、今日と明日は違う日なのだから。人は日々、その環境に合わせて変化しているのだ。
ただ、意識しているかいないかの違いだけで。