言葉

日常のひと休みに

わからないことがわからない

物事の始まりは

わからないことが何かわかることから始まる。

 

わからないことがわからないうちは、

まだ、何も見えていないのと同じだ。

 

多くの情報を目のあたりにして

何をどうしていいかわからなくなったり

新しい環境で右も左もわからなかったり

わからないことがわからないと

そのことを見るのではなく、

自分の方に目が向いてしまうけど

見る方向が逆になってしまっていては

見えてくるものも見えてこない。

 

ずっと、目を凝らしていて見えたということはなかっただろうか。

ずっと見ていたら、擬態している何かに気づいたことはなかっただろうか。

毎日見ていた景色が

ある日違って見えたことはなかっただろうか。

ずっと歩いていたミチで

新しい発見があったことはないだろうか。

 

そこから、何かが始まる

 

自分の世界に

その世界がなかったなら、

わからないことがわからないのは

当たり前だ。

見えていない、認識していないものを

どうしてわかることができるだろうか。

 

自分のわかること、知っている世界と

そのわからない知らない世界、物事にどこかの接点を見つけることができて、

はじめて、その世界を見ることができて、

自分の世界と比べられ、違いに気づき、

わからないことが見えて来るのだ。

その接点を見つけられるまで

地に足がついていない、

右も左もわからない、

自分がどこにいるかもわからない、

そんな状態と同じだ。

 

そんな状態でそこを離れてしまえば、

それはずっと見えないまま

始まらないまま、

始まらないということは

終われないまま、

ずっとそのまま始まりも終わりもしない

そういう状態のままだろう。

自分の中でそれが終わったと思っていても

始まってもいないものは

終わることもできず

ただ、その感じだけが自分の中に残るのだ。

良いとか悪いとかの話ではない。

そういうことを知っているだけで

新しいことを始めるための

少しだけ助けになるというだけの話だ。

 

 

 

 

 

 

#新しいことのスタート#わからないこと

#わかる#わかることがわからない#少しだけ助けになる話