言葉

日常のひと休みに

やられたらやり返す

やられたことをやり返す

そういうことを言う人がいる。

ある時、

ネズミはたずねた。

どうして良いことはやり返さないの?

モグラはこたえた。

可哀想な人なんだよ。

サルが言った

わからないものは返せない。

ウサギが言った

悪いことがわかって

良いことがわからないなら

悪いことは簡単で

良いことは難しい

悪いことは程度の低いことなんだね。

 

 

#やられたらやり返す#因果応報#良いこと#悪いこと

出会い

出会いには2つのモノがある。

経済的な階層の出会い

精神的な階層の出会い

物理的な目に見えるような数字としてわかるもの

物理的でなく目に見えない数値にできないもの

経済的な豊かさを求めた争い

精神的な豊かさを求めた競争

私は精神的な豊かさを求めた争いを見たことがない

経済的な出会いは、その経済力を持てば出会う可能性があがる

精神的な出会いは、自分自身が相手と同じ豊かさを持たなければ出会えない、物理的にすれ違っても気付けないのだ

精神的な豊かさと出会いを求めたものを

人は文化としてきた

 

 

#文化#出会い#競争#争い#豊かさ

文化の消失は民族の消失

消失

失われてゆく

削り取られるように

形があったなら

削り取られていることに気づいただろうか

形だけ残したから

中身が削り取られていることに

気づかなかったのだろうか

伝えることをあきらめたから

知らないことをバカにしたから

知らないことを知ろうとしなかったから

知らないことや難しいことは

大切なことだと思わなかったから

失われてゆくのだろうか

いつも

形づくるのは形ないものなのに

形ないものが失われなければ

形あるものはつくりだせるかもしれない

形ないものが失われれば

それを見つけることは

できないかもしれない

誰かが残した形あるものの中に

それを見つけられないかもしれない。

形ないものが失われた形あるものは

本当にその形あるものなのだろうか

誰かが引いた形ある線は

誰もが持っていた形ない線を失わせた

形だけある何かは

形ない何かを失い

とてもかなしいことに気づいた

でも

失ってしまってからは見つけられない。

 

 

#文化#消失#形ないもの#形あるもの

#民族

感情ってなんだろう

気持ちってなんだろう

わかってよってなんだろう

何によってわかるのだろう

形のないもの、見えないもの、

どうやってわかるのだろう

形にしてるからだよね。

見た目じゃない

大事なのは気持ち

じゃあ、それを何で判断してる?

見た目でしょ

形でしょ

人は見た目じゃない

見た目でしょ

それは、

その人がどうということじゃなくて

判断してる側の問題

わからなかっただけ

気持ちがわからないのは

形にしないか、

形が読み取れないか、

そういうことじゃないかな。

気持ちは大事だと思う

それは、誰もが知っている。

だけど、

形の大切さは知らない人が多い。

ドラマを見て、映画を見て、

そういうものを

どうやって判断してるのだろう

そこに映っている人のことを

よく知っているの、親しいの…

例えば、手話は

形で判断してる、形であらわしてる

それをわからないと

最初からあきらめて

わからなくなる

とても素敵な心をあらわす表現なのに。

もちろん、

形だけじゃなく

音もある

音は形じゃない。

形じゃないけど、

音だけで判断してるわけじゃないよね。

声を出す時に、

顔の表情を変えないで

様々な声を、音を出せる人が

どれくらいいるのだろう。

形にするって大切なことだと思う。

もっと形を受けいれたなら

今とは違う形が見えてくるかもしれない。

 

 

 

 

#形#気持ち#大切#違う形

#見ているのに見えていないもの

わからないことがわからない

物事の始まりは

わからないことが何かわかることから始まる。

 

わからないことがわからないうちは、

まだ、何も見えていないのと同じだ。

 

多くの情報を目のあたりにして

何をどうしていいかわからなくなったり

新しい環境で右も左もわからなかったり

わからないことがわからないと

そのことを見るのではなく、

自分の方に目が向いてしまうけど

見る方向が逆になってしまっていては

見えてくるものも見えてこない。

 

ずっと、目を凝らしていて見えたということはなかっただろうか。

ずっと見ていたら、擬態している何かに気づいたことはなかっただろうか。

毎日見ていた景色が

ある日違って見えたことはなかっただろうか。

ずっと歩いていたミチで

新しい発見があったことはないだろうか。

 

そこから、何かが始まる

 

自分の世界に

その世界がなかったなら、

わからないことがわからないのは

当たり前だ。

見えていない、認識していないものを

どうしてわかることができるだろうか。

 

自分のわかること、知っている世界と

そのわからない知らない世界、物事にどこかの接点を見つけることができて、

はじめて、その世界を見ることができて、

自分の世界と比べられ、違いに気づき、

わからないことが見えて来るのだ。

その接点を見つけられるまで

地に足がついていない、

右も左もわからない、

自分がどこにいるかもわからない、

そんな状態と同じだ。

 

そんな状態でそこを離れてしまえば、

それはずっと見えないまま

始まらないまま、

始まらないということは

終われないまま、

ずっとそのまま始まりも終わりもしない

そういう状態のままだろう。

自分の中でそれが終わったと思っていても

始まってもいないものは

終わることもできず

ただ、その感じだけが自分の中に残るのだ。

良いとか悪いとかの話ではない。

そういうことを知っているだけで

新しいことを始めるための

少しだけ助けになるというだけの話だ。

 

 

 

 

 

 

#新しいことのスタート#わからないこと

#わかる#わかることがわからない#少しだけ助けになる話

と、ある共感…

あなたに共感しました。

あなたの気持ちに共感しました。

ということを言う人がいる。

 

でも、

その人は自分の気持を話さない。

 

何かの事について話をしたとしよう。

でも、

その人は具体的なことを話さない。

 

いったい誰と話をしているのだろう。

言ったことをただリピートして

共感されても

自分のうつらない鏡に話しかけているだけじゃないだろうか。

 

そんな人を信じろと言われて、

信じることができるだろうか。

人の話を聞かず、

自分の都合をおしつける人と

何が違うのだろうか。

 

共感…

面白いことをする人を見て笑う

これは共感?

共感だとしても、

それを共感したと言葉にする人が

どれくらいいるだろうか?

 

人はどんな時に共感したと

言葉にするだろうか…。

 

車を運転していた時

前方の方で花火が咲いたのを見た

隣りで涙を流す人を見た

急に苦しくなり少しだけ奥歯に力を入れた

あのときの感覚は何だったのだろう

 

共感…なんてものはよくわからない。

だけど、

誰かのなにかに

自分の中にあるものと同じような

なにかを感じたなら

その誰かと同じ言葉ではなく

自分の言葉として

誰かに

そのなにかを伝えられたらとは思う。

 

 

 

 

 

…とある人が言った。

最高というのは目指すべきものであり

あるべきところではない。

最良な状態というのが

あるべきところなのかもしれない。

 

…とある人が言っていた。

 

 

 

 

 

#言葉#最高#最良