言葉

日常のひと休みに

見失わなければ…

道具にたよりすぎた人は

方法を重視してきた人は

大切なことを失う

正確には失うのではなく見失うのだろう。

そして

次は本当に大切な何かを失う。

 

言葉にたよれば

真実を失う…いや、本心だろうか。

言葉の使い方を重視すれば

程度を失う…いや、本音かもしれない。

 

顔を見て話していれば

その目を見られただろうに。

顔を見ないで話してしまった。

文字だけで話してしまった。

自分の想像の中だけで

決めつけてしまった。

 

現実は

自分の想像しているようにはならない。

現実は、真実は、

怖いものかもしれない。

知りたくないことかもしれない。

知る必要もないのかもしれない。

想像の中には大切なものがたくさんある。

現実の中には想像から生まれたものがある。

想像の中で育てた芽は

現実の中で花を咲かせ

想像の中に種を落とす。

 

鏡にうつる自身の姿、顔を

見ないふりをしてしまうたび、

自分自身の叫びを無視してしまう。

助けてという叫びを…。

それでも

その目は誰かにそれをうったえている。

助けてという叫びは

言葉でも声でもあり

そのどちらでもなく

自身の現実であり真実なのだ。

それは言葉や声だけで表現するものでも伝えるものでもない。

声にしなくても言葉にしなくても

表現でき伝えられるものであるはずなのだ。

それは、

それを受け取る側が

見失ってさえいなければ…

叫ぶ側が

外に出すということを

見失ってさえいなければ…

 

 

 

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