付喪神64
そんなことをおもいながら、僕が求めているのは、結局他者とのつながりなのだろうとおもう。つながるという程度も度合いも人それぞれだろう。対話というのは、もしかしたら、その人それぞれというのをお互いに近づけるために必要なのかもしれない。
人はこわいものだ。
矛盾というものを内在させているように、相反するもの同士を持ち合わせている。だから、理解し難く、よくわからないからこわいのかもしれない。
こうありたいと理想の自分をおもい描くのは、自分の為というより、他者の信頼を得るためなのかもしれない。
それなら、自分のためとおもっていることも他者に向けてのものであり、他者をおもってのことは自分のためでもある。ということにも、頷ける気がする。