言葉

日常のひと休みに

禁止事項

 

たくさんの身近なことに

ルールが決められることが多くなった

 

ルールについて

話し合うことはいいことだと思う

 

でも、

禁止事項が増えているだけのような気がする

 

なぜ、それが生まれて、そうなったのか…

それを知らずに、考えずに、決める

 

良いところも悪いところも

わからないまま

それが禁止事項になるのに

それは

現場の、そこにいる人の意見なのだろうか

 

逆もある

禁止をかけなければならないことに

禁止をかけない

なんとなくの暗黙の了解

暗黙のルール

それができることは

空気がよめるという意味では素晴らしい…

でも

それは個人の忍耐力や価値観まかせ

という意味でもある

 

世代により、

違ってしまうのは仕方ないことだ

それでも

世代が違っていても

人が大切にするべきことが

世代によって大きく違ってしまうのだろうか…

と考えてしまう

それは、なんだか

とても寂しい…

 

それから、もしそれが、

そうではなく

一部の人の都合で、

決められてしまっていることなら

それぞれの世代の人達が

問題について考えるということを

奪ってしまっているのではないだろうか…

 

それなら

限定でもいいのではないだろうか…

全てを公のルールにする必要はないのでは…

禁止事項が増えるなら、

禁止事項にないことなら、

なんでもやっていいと

思うようになってしまうのではないだろうか…

誰かに考えることをまかせ

感情のみに流され、

それがあたかも

自分のかんがえであるかのように錯覚する

 

誰かに傷つけられて傷つくこともある

それだけではなく

誰かを傷つけてしまって

自分も傷つくということはないだろうか…

そういう心は生まれないだろうか…

 

項目が生まれるかわりに、

自分に向ける心も

自分以外に向けられる心も

考えるという行為が

失われてしまわなければいい…と

願わずにはいられない…