言葉

日常のひと休みに

刈安

 特別なものに理由があるように

多くの人に使われるものにも理由がある

 

 生活の中にある当たり前も

最初というのはあったはずで…

長い間続いていることの最初は

特別であったのだろうと思う

 だから

特別も当たり前も

最初の誰かから始まり今に至る

 つまり

多くのことは

その誰かからの

蓄積の上に成り立っているのだろう

 

 今の最先端の技術も

誰かの何かから始まり

つながっている

 

 まるで進化の木のように

たくさんの積み重ね上に

今があるのだと思う

 

 それが わかっているなら

 それを 知っているなら

 それを 自覚しているなら

今より少し

優しい世界になっていたかもしれない