言葉

日常のひと休みに

あきらめしか…残らないのだろうか…

何をしても否定されたり、

言われた通りにしても

なんの見返りもなかったり、

やってもやっても

何も変わらなかったりした時、

最後に残るのはなんだろう。

あきらめ…

もしも、あきらめだったなら

何もせず、ただそれが通り過ぎるのを待つ

何もせず、ただそれが終わるのを待つ

何もせず、ただそれがなくなるのを待つ

何もせず、ただただ…。

 

誰も見ていないのに

誰も褒めてくれないのに

誰も何もしてくれないのに

なんの対価もないのに

やりたくないこと

好きでもないことを

続けるのは大変なことだ。

 

昔は

お天道様が見ている

なんて言っていたが、

今は

ネットの誰かが見ている

ということだろうか、

昔は

自らが自らを制していたのか、

他所様の目をそう言っていたのか、

お天道様という目があったのか、

わからない。

今は

どうなのだろうか…。

長く耐えることは辛いことだ。

出口の見えないトンネルは

恐怖と不安でいっぱいだ。

いつ終わるかわからないものを

耐え続けることは勇気のいることだ。

でも、

誰かと一緒なら

それをこえていけるかもしれない…。

その誰かが大切な人なら

人はその人のために

恐怖や不安に

打ち勝つことができるかもしれない。

 

考えることを他人にゆだねてしまった人達は

大切な人もうしなってしまうのだろうか…。

 

誰かのためになら

人は強くなれるのだろうか…。

 

目の前の誤報という報道を見ながら、

そうなってしまった今を思う。

誤報は誤りだが、

誤ってしまう何かが

そこにはあったのではないかと…。

ただ

自分はどうすべきなのだろう…と

流れてくる誰かの言葉に

左右され影響を受けながらも

近くにいる人を思いながら考えている…。