言葉

日常のひと休みに

付喪神58

 僕が今こうして書いていることは、今も何処へ向かっているのかわからない。わからないけど、何かがあるってことはわかる。

 人は命と向き合うとき、自分と向き合えるのかもしれない。だから生きるということのどこかには、自分と向き合うってことが含まれているようにおもえるんだ。かつての恋人が自分の中にいるように。人は経験したことや想像したことが自分の中で生きている。

 それはつまり、向き合っている、誰かと何かが、何処かと何処かで。それはその時々でちがうかもしれないが。

 考えるということは、自分の中の何かそういうものと向き合うことなのではないかとおもう。