主君は書くということで己の中の自分に会っているのかもしれない。そこは感情や理性が渦巻いているめちゃくちゃな世界で、それを知りわかったからといって、どうにもならない世界で、それはどうにもならない自然の猛威とおなじで、つまり自分の中の自然と向き合いながら、外と繋がろうとしているのかもしれない。
正直オイラにはよくわからない。主君もきっとわかっていないとおもう。
それでも主君はそこに何かを見つけようとしているのかもしれない。
主君は、愚かかもしれないが、器用でもないかもしれないが、主君のやろうとしていることは意味のあることだとおもえてならない。