言葉

日常のひと休みに

縁というのは…

ヒトでも

モノでも

エンというのがある。

人は360度見える生き物ではない。

特に何かに目が向いている時は

視界が狭くなる。

縁というのはそういうとき訪れる。

つまり、

目の向いていない方にやって来て

後になって、手遅れになってから

気づくことが多い。

欲しいモノや

会いたいヒトは

背中から近づいてきたり

すれ違いで通り過ぎてしまうことが多い。

それが縁だと言ってしまい、

出会えなかった、縁がなかったと

言ってしまえば楽だろう。

しかし、

本当に縁のないことなら

そもそも、

すれ違いもしないし

近づくこともない

ましてや、後になって気づくことなんて

絶対にないのだ。

自分のテリトリーに入って来ないことは

本当に縁のないことなのだろう。

つまり

縁の強さ太さは別にしても

可能性はゼロではないということだ。

ただ…

縁をそんなふうに思うときは

たいていの場合

逃がしてしまったことが多いときだ。

そして

強い縁というのもある。

これは少しくらい他を向いても

逃してしまうようなものではない。

ただ、これを逃してしまうと

代わりになるものがない。

そういうものを縁という人もいるが

縁というのはそれだけではないと思う。

それだけが縁だとしたら

人は何か決められたものに縛られ

引っ張られて生きていることになる。

この選択をどう思うか

それは人それぞれになるだろうが

何かに縛られているだけなら

夢みることも無意味になってしまう。