言葉

日常のひと休みに

優しさの生まれ方

優しさは

与えることから生まれてくるのかもしれない…

おそらく

何もかもを占有するのではなく、

誰も占有せず

誰もが使えるということができ

誰もが使えるからといって

自分だけが好き放題使うのではなく、

誰もが使うからこそ

自分は必要なだけ使う

最小限とは言わないが

他の人も使うということがわかって

必要なだけ使う

ということができたなら

人は今より優しくなれるような

気がしてならない…。

 

ギスギスしてしまうのは

ベクトルが競争で

相手を出し抜くことに向いているからで

基本的な水準が守られていたなら

競争というベクトルではなく

別のベクトルで

物事が成長や進歩を

とげるのではないだろうか。

もっと

循環するベクトルなら

様々な過去も未来も

考えられるのではないだろうか。

過去からのものをいただき

今を生き

未来にかえしていく。

過去から与えられたものを

今いただいていて

与えられたなら未来にかえしていく

父や母からもらったものを

父や母にかえせない

だから

子供にかえしていく

与えていく

そういう循環のように

作物が大地から与えられた栄養を

作物からいただき

大地にかえしていく

そんな循環

どこかが途絶えてしまったら

止まってしまう

すると

未来が過去になり

その過去から与えられるはずのものが

今いただけなくなり

未来にかえすことができなくなってしまう

それは

矢のベクトルが真っ直ぐのびて

その先には…

何もなくなるということ。

まわるのではなく

先に進むだけ

その先に最初にたどり着いた人によって

それから全ての人が

失うだけの未来

何も生み出せない未来

そんなふうになってしまう気がしてならない。

循環しないから

生み出しているように見えるのは

消費という快楽だけ

そんなふうになってはいないだろうか…。

優しさの失われた世界

循環しない世界

そんな世界を

無意識につくってしまっていないだろうか…。

世界の美しさは

別の美しさに描き換えられ

都合の悪いものをかき消している

そんなふうに思ってしまうことがある。

雨は洗い流してくれないだろうか…

風は吹き消してくれないだろうか…

太陽はただ見つめている…。

 

 


f:id:inonakanosiro:20210129113707j:image