言葉

日常のひと休みに

可哀想な言葉

好き

好きな人に好きと言われた。

嬉しい。

嫌いな人に好きと言われた。

なんだか嫌な気持ちになった。

 

嫌い

好きな人に嫌いと言われた。

凄く悲しい気持ちになった。

嫌いな人に嫌いと言われた。

こちらこそ、と思った。

 

誰が、いつ、どんな人に、どう使うか、

それによって感じ方や意味が

変わってしまう言葉と、

誰が、いつ、どんな人に、どう使っても、

嫌な気持ちになる言葉は、

どちらが可哀想な言葉なのだろうか…

 

なんてことを話していたら、

いやいや、

それじゃあ、

昔に使われていて、

今使われなくなっている言葉は?

ちょっと待ってよ。

省略されて、

今は元の言葉とは

違う形になってしまったものは?

 

というように

言葉達の間で議論になった。

昔の言葉は

口語と文語の表記が違うから、

今の方が楽でいいでしょ。

と今の言葉が言うと…

今の言葉に

風流や侘び寂びはあるの?

そもそも

言葉と言えない表記のモノもいるじゃない。

と昔の言葉は言った。

 

可哀想という話から始まった議論は

いつの間にか

様々な問題を抱えていることに

気づかされた。

 

そして

ある言葉が言った。

道具というものは、

使うものによって扱われ方が違う

とても不平等なもので

必要なくなれば使われず

捨てられてしまうものもある。

それなら、

全ての言葉に可哀想というものは

含まれているのではないだろうか…

言葉が道具であるかぎり…。