知ることで諦める
諦めて行くことが多い時代
諦められないものはあるだろうか。
知って行くことで諦めるのか。
知らないから諦められないのか。
簡単に知ることが諦めるにつながるのか…
本当にそうなのだろうか…
知る…
本当にそれを知ったのだろうか…
知る…
了解する…
似て非なることだと思う。
知ることで諦めるのは…
知ることで諦めるという
言い訳を…
言い訳の仕方を知る…
言い訳の理由を見つける…
言い訳の理由の見つけ方を知る…
ということにはならないだろうか…。
それも知ってる…
あれも知った…
もちろん、そんなものは知ってる…
それなら、
知らないものを探してみるのはどうだろう…
そんな面倒くさいこと
なぜ、やらなきゃいけないの?
それは何かに必要なの?
生きることに必要なの?
…
…
…
それならば問う
知らないものを探しもしないで
なぜ面倒くさいとわかるの?
見つけもしないで
なぜ面倒くさいとわかるの?
やらなきゃいけない?
なぜ、やらなきゃいけない
というふうになるとわかるの?
やってしまうになるかもしれないのに…
必要かどうか?
どんなものかわからないのに
必要じゃないって
どうしてわかるの?
誰かが言っていた?
誰かは自分なの?
知らない誰かは
全てが自分とまったく同じ人間なの?
何を知ってるの?
誰かのそれは
自分にとってのそれなの?
もしも、
全てがそうなら
全てを知っていたなら
感情なんて、心なんて、
どうにでもなる…コントロールできる、
自分のものも他の人のものも…。
それなら
辛い思いや悲しい思いなんてしなくてすむ
…
それは…
心があるということなのだろうか…
全てに共感できるということは
全てに共感できないということだ。
なぜなら
相反するものがあるからだ。
それがなくなるなら、ひとりだ。
ひとりということすら認識できないひとりだ…
そんなふうに思えてならない。
知ることが諦めるにつながる諦めは
そこから逃げたかった諦めに思えてならない。
それなら
次に出会う何かを
はじめから諦める必要なんてない。
知っていても
それを諦める必要はない。
今日の自分は
昨日の自分でも
明日の自分でもないのだから…。