言葉

日常のひと休みに

折れる

気持ちが折れる。

いったい何度経験すればいいのだろうか…

1度も折れたことがない人がいるのだろうか

もし、いたとしたら

それはどんな人だろうか

希望に満ち溢れた人だろうか

心のない人だろうか

希望を持たない人だろうか

はじめて折れた日の自分に聞いてみればいい

それまでの自分がどうであったのかを…

折れたら、どうすればいいのだろうか

はじめて折れた日の自分に聞いてみればいい

これからの自分がどうしようとしたのかを…

人はそうやって

明日を生きてきた。

誰かに添え木のように支えられたなら

誰かを探すのだろう…

ひとり、ひたすら嵐がすぎるのを待ったなら

ひたすら瓦礫の中で

そこからはい上がれるまで待てばいい…

たくさんの人の中に埋もれたなら

たくさんの人のいるところへ行けばいい…

誰かもっと不幸な人を探したなら

探せばいい…

成功体験を探したなら

探せばいい…

誰かを助けてきたなら

そうすればいい…

誰かに助けを求め叫び続けたなら

叫び続ければいい…

どれも間違っていない…

ただ、

自分と同じように

心が折れ、苦しみもがいた人が

自分だけではなくいるということだ。

ただ、それだけのことだ。

折れた痛みは

痛みなのか

開放なのか

それはわからない…

執着なのか

逃避なのか

それもわからない…

ただ、存在するということは

ダメなことではないことだと思う。

自分の中の正義や価値観は

人それぞれにある。

だけど、存在するということは

何か意味があり必要なことのような…

そんな気がしてならない…。

これも自分の中にある価値観かもしれないが…