言葉

日常のひと休みに

待つ

待つということは、

時間の無駄づかいなのだろうか…

ただ待っていることに

意味はあるのだろうか…

 

待っている時は目的がある。

でも、

その目的が必ず叶うどういうわけではない。

 

待つという行為は必ずそこに他者が存在する。

他者というのは、人だけではない、

自分以外のモノ、

自分ではどうにもならないモノであろう。

 

だから、

待つという選択肢がそこに生まれるのだ。

 

待っている間は

どうしたら有意義に過ごせるのだろう…

何かをやるにしても

意識は常に待っているモノに向けられる。

何かに集中するのは難しい…

では、待たないということにすれば…

もっと意識がそこへ向いてしまう…

 

待つということは

やはり、待つしかないのだろうか・・・