言葉

日常のひと休みに

新年になって

何かが変わったわけじゃない。

何かを変えたいと思っただけ。

新しい年を迎えると思う。

それが

新しい年を迎えるということかもしれない。

新しい年になったから

旧年と変わるなんてことはない。

明日が来ただけ。

毎日が続いて行く。

何かをリセットしたいから

新しい年を1つの区切りにしたい…

ただ、それだけで新年を

新年と思うのかもしれない。

神様をむかえる。

でも、神様は見えないし、わからない。

だから、そういうことはわからない。

それでも

神様にお願いし

願い、祈る。

そういうことは必要だと思う。

でも、

みんなと一緒である必要はない、

派手である必要もない、

静かであってもいいと思えた。

もしも

神様が派手でにぎやかなことが好きなら

きっと、そういうところに行くだろう。

そういう場所がなくて行けないなら、

そういう場所をつくるために、

力をかしてくれるはずだ。

神様だって

ずっと引きこもっていることが嫌なら

きっと、そうならないように

力をかしてくれるはずだ。

神様も我慢しなきゃならないことなら、

人も我慢しなきゃならないかもしれない。

人も我慢することが嫌なら

そうならないように考えるはずだ。

人は考えることによって

ここまで繁栄してきたのだから。

考えることを

やめてしまえば、そこで繁栄もとまる。

新しい何かを見つけることができないから。

 

年が明けた。

それは何も変わらない毎日が進んだだけ…

それでも

新たな願いとともに

新しい日々を過ごして行けたらと思う。